チームで目指す「北極星」は? 地味で地道な歩みでも道を見失わないために
「痴呆(ちほう)症」から「認知症」へ——。病気に対する認識を変えた「認知症啓発のための調査研究プロジェクト」で、徹底した生活者調査により、早期受診しやすい社会を実現したPRパーソン・花上憲司さん。PRで社会を変えるためには、「何のためにこの仕事をするのか」というチーム全体の「北極星」を見失わないようにすることが重要だと言います。
後編となる本記事では、プロジェクトを一過性のブームで終わらせないために必要な視点を、PRX Studio Qのプランナー岩澤が聞きました。
▼前編はこちら
目標は何か?チームの「北極星」を見つける
岩澤俊之(以下、岩澤):前編では「認知症啓発のための調査研究プロジェクト」の事例を参考にしながら、特定のターゲットに限定しない幅広いステークホルダーの「生の声を聞き、対話すること」の重要性についてお聞きしました。後半では、認知症プロジェクトのように、社会変革を起こし定着させていく過程でどんな視点が必要か、お聞きしたいと思います。
花上憲司(以下、花上):僕は調査会社出身ということもあり、社会調査を基にPR施策を考えるアプローチを得意としています。社会調査とは、集団における事象を調査・分析し、傾向や問題を把握する手法で、「定量的なアンケート調査」と「定性的なインタビュー調査」の大きく二つに分類されます。比較的公共性の高い施策で用いられることが多いので、僕が担当するクライアントも中央省庁や地方自治体、NGOなどが多いです。
岩澤:社会の仕組みや人々の認識を変えていくようなプロジェクトは、一過性のブームで終わらせないために、比較的長期的な取り組みになることが多いですよね。
花上:そうですね、認知症のプロジェクトは1998年のスタートから約15年にわたるものでしたし、その他の案件も数年かけて徐々に施策の効果を出していくことが多いです。何かしらの変化を社会に浸透させるということは、一朝一夕にできることではないので、長い時間をかけてゆっくりと、でも着実に進んでいかなければいけません。
長期に及ぶからこそ、僕が最初にすることは「北極星」を見つけることです。このプロジェクトが目指すものは何か、チームで共有できる目標をまずはっきりとさせます。
例えば、本プロジェクトの北極星は、「認知症患者が、早期受診しやすい環境をつくること」でした。治療薬の開発・発売に伴うプロジェクトではありましたが、製品のプロモーションだけではなく、「認知症は病気である」という認識を広め、早期受診しやすい環境をつくるところから取り組むことが、社会や生活者からより信頼を獲得することにつながると考えたのです。
その施策が本当に正解?問い直す目的と手段
岩澤:中長期にわたるプロジェクトを進めていると、施策の種類やステークホルダーも増えていくので、途中でこの施策は何のためにやるんだっけ、と迷子になってしまうこともあります。だからこそ、プロジェクトが始まる前に、関わる全ての人と「北極星」を共有することが大切なんですね。
花上:PRの仕事では、「商品発表会を開きたい」「WEBサイトを制作したい」など、具体的な施策の相談を受けることが多くあります。そんなとき、僕たちは、ちょっと立ち止まり「何のためにその施策をするのか」と原点回帰する必要があります。解決すべき課題は何なのかを考え、目的を見失わずに北極星までの案内人となることがわれわれの役割だと思います。
岩澤:実際に認知症のプロジェクトで、北極星に立ち返る場面はどんなときでしたか。
花上:タレントを用いた大型キャンペーンの中断をした時です。プロジェクト開始から3〜4年目のときに、有名タレントを起用して病院受診を促す新聞広告やTVCMを出したことがあったのですが、受診率は上がらず、ほとんど効果が得られませんでした。
その理由をチームで話し合う中で、「患者は話題化を欲していないのではないか」ということに気付きました。僕たちは「啓発のためには話題化が必要だ」と思い込んでいましたが、受診に抵抗のある患者さんや家族のニーズに逆行していた。「患者が早期受診するために必要なことは何か」と北極星に立ち返ったことで、ただ広く啓発情報を発信するだけではいけないと気付き、思い切ってタレントの起用をやめる選択をしました。
岩澤:著名人を起用した大型キャンペーンを立ち上げて話題化を狙い、一気に認知度を上げるというのは、新商品のコミュニケーションなどでよくある手法です。プロジェクトの途中で方向転換するというのはなかなか難しいと思うのですが、北極星をチームで共有しているからこその機動力ですね。
花上:PRは、プロモーションとよく誤解されることがあります。注目されるためにパブリシティ(メディアに取り上げられること)を獲得したいと、僕たちもクライアントもついつい思いがちです。しかし、パブリシティはあくまでゴールを実現するための手段であって目的ではありません。プロジェクトを進める中で、絶えず本来の目的を見失わず、その上で優先順位をつけながら施策を選択していくことが戦略だと考えています。
ブランドアクションの第一歩は「相手」をよく知ること
岩澤:私が仕事をする中で、クライアントから「社会課題に対してアクションを起こしてみたいが、何から手をつければ良いか分からない」とか「独自の取り組みはしているが、発信するような価値があるか分からない」といった悩みを伺うことがあります。自社ブランドと社会課題との接点をうまく見つけられないとき、花上さんなら、どのようなアドバイスをしますか。
花上:まずは「相手を知ること」です。この場合の相手とは、製品やサービスのターゲットだけとは限りません。ブランドにとっての「相手」は誰なのか、その相手はどんな課題を抱え、どんな障壁のせいで不便な思いをしているのか。その声を可視化することが、ブランドアクションを考える上での第一歩だと思っています。だからこそ、社会調査が有効なんですね。
岩澤:調査によって明らかになった生活者の声を、PRの力で可視化、具象化していくことが私たちの役割ですね。
花上:認知症のプロジェクトの場合は、症状があっても患者や家族の受診への抵抗感が強く、結果として適切な医療や介護に結びついていないという現状を、まずは社会に幅広く認知してもらうため、調査結果を論文というかたちで一般公開しました。
このように「課題を顕在化させる」ということだけでも立派なアクションだと思います。一見、大規模なキャンペーンや広告に見るような派手さや華やかさはないかもしれませんが、「社会を変える」とは地味で地道なことの積み重ねだと僕は考えています。
重ねるトライ&エラー、巻き込むステークホルダー
岩澤:ビジネスである以上、短期的な成果を出していくことはもちろんですが、PRパーソンに求められるのは、クライアントの「社会を変えたい」という熱意を共有し、小さな変化を積み重ねながら、寄り添い、伴走していくことだと思います。長い取り組みになればなるほど、目に見える大きな効果や成果がすぐには表れないかもしれません。そんなときにこそ、北極星が役立ちますね。
花上:認知症プロジェクトも、当初からこんなに長期になることを想定していたわけではありません。調査を一つずつ実施しながら、新たなリサーチクエスチョンが生まれ、さらに次の調査を設計する、ということの繰り返しでしたし、そのようなトライ&エラーを重ねたからこそ、その後のPR施策も解像度の高いものになっていきました。
何よりも、すぐには効果が出ない中で、クライアントとの強い信頼関係がなければここまで来ることはできませんでした。
岩澤:結果として、プロジェクト開始から7年後の2005年、厚労省が正式に「痴呆症」という病名を「認知症」へと変更しました。
花上:名称が変わったことをプロジェクトの成果として取り上げていただくことが多かったですが、本当の成果は多くのステークホルダーを巻き込んでいったことだと思います。
例えば、患者本人や家族が早期に病状に気付けるように、「物忘れチェックリスト」の普及を行ったり、かかりつけ医の診断技術の向上を目的とした医師向けのプログラムも作成したりしましたし、調査結果は政府の研究チームとも共有していました。患者や家族だけではない、さまざまなステークホルダーを徐々に巻き込むことができたからこそ、社会の病気に対する認識も変えていくことができたと思います。
岩澤:PRとは「パブリックリレーションズ」ですから、ターゲットにとどまらない、あらゆるステークホルダーと良好な関係を築くことが重要ですよね。
花上:パブリックリレーションズは、「リレーション」ではなくて「リレーションズ」と複数形の「s」がついているところが肝だと思います。消費者とクライアントの関係だけでなく、社員、取引先、周辺住民など、「s」が増えれば増えるほどよいPR、社会を変える力になるということを、PRパーソンは頭の片隅に置いておいてほしいです。
〈インタビューを終えて〉
岩澤:私にとってPRとは、「思いやり」です。思いやりとは、「相手や社会の立場に立って考えること」。世の中の目線から、何を解決すべきかという問いを立て、解決策を探す。そして、他者を巻き込みながら、地道に一歩ずつ渦を大きくしていく。その繰り返しが、社会との合意、信頼を築くということだと思っています。