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選択の自由が生活者にある時代、選ばれ続けるためのPRとは

記事のポイント:
・PRとは、社会の問題や課題(=問題的状況)を解決して、あらゆるステークホルダー(=他者)からの承認を得ること。
戦後復興期の1950年代と、コロナ禍を経験した今は、経営者や実務家(PRプランナー)が「PRとは何か」を暗中模索しているという点で共通している。
・昨今は、企業と他者の関係性において、他者側に選択の自由がある時代。容易に関係を絶たれやすいからこそ、組織は承認や信頼を得続けなければいけない。そのためにPRが有効である。

 そもそも「PR」とは何か。その定義は、時代や地域、人によっても異なるものです。今回は、PRプロデューサーの根本陽平と、社会学の視点からPRの歴史や理論を研究し、Qのワークショップ外部アドバイザーでもある河炅珍(ハ・キョンジン)先生が、その歴史をひもときながら「PRとは何か」と「社会にPR がなぜ必要か」について考えました。

日本のPRの起源は、経営者による従業員向けのコミュニケーションだった!?


根本陽平(以下、根本):そもそも「PR」とは、「パブリック(社会との)リレーションズ(関係)」のことで、消費者だけではなく、社会全体に働き掛けるコミュニケーション全般を指す言葉です。ただし日本では単にプロモーションと捉えられていたり、パブリシティ(メディアで取り上げられること)と理解されていたりすることが多いですよね。一方で、定義が抽象的で分かりにくいのも事実かと思うので、本日は、PRの生まれた背景や発展した歴史をさかのぼることで、理解を深めていきたいと思います。

河炅珍先生(以下、河):歴史をさかのぼると、PRという概念は戦後、アメリカから導入されました。日本全体が民主化に向けて根本的に転換せざるを得ない中で、主要産業の経営者たちは、自社の組織、とりわけ労使関係を安定させるためにPRという手法に注目したのです。

根本:戦後と聞くと、復興に向けて国民全体が一致団結し、仕事(労働)に没頭している姿が思い浮かびますね。しかし、敗戦を境に政治体制や人々の考え方が180度変わる激動の時代でもあったのではないでしょうか。

河:そうですね、戦前の権威主義体制から打って変わって、民主的な思想が広がり、労働者の権利意識も高まりました。加えて、労働者は、復興とともに産業が活性化したことでその数も大きく増加し、企業や経営者にとってますます無視し得ない存在となりました。このような変化の激しい労使関係を良好な状態に維持しようと、各企業では社内報の刊行をはじめ、従業員向けコミュニケーションに取り組むようになりました。こうした動きは、1950年代にPR誌やPR映画、展示施設など、多様なメディアを通じて拡大していきます。日本における最初のPRブームともいえます。

根本:労使間のコミュニケーションから歴史が始まったというのは、「関係者同士の意見を一致させる(=合意形成)」というPRの本質につながる話ですね。

河:当時は、現在思い浮かべるような消費社会はまだ姿を現していませんでした。市場を巡って競争をする前に、まずは、新しい社会/市場をそもそもつくり出すことに力が注がれたのです。主要産業や大手企業には、日本社会の復興そのものを担う役割も期待されていたので、向き合うべき他者も、狭い意味の消費者でなく、今でいう多様なステークホルダーにまで及んでいました。こうした状況で、モノを売る広告よりも、関係性を築くPRの方が特に求められたのです。

根本:なるほど、当時は、市場のルールや秩序も出来上がっていない状態でしょうから、経営者にとっては、商品やサービスを売ることよりも、社会やステークホルダーとまずは合意形成をすることの方が重要だったんですね。

河先生1


「PRとは何か」を模索する1950年代と現代の共通点

根本:消費者やターゲットにとどまらず、社会全体とコミュニケーションを図るのはまさにPRが得意とするところですね。コロナ禍を経験している今この時代も同じ境遇だなという印象を受けました。当時から学べることはあるでしょうか。

河:今日、PRは新しいコミュニケーション分野として注目されているように思いますが、第1次PRブームがあった50年代と現在は、構造的に類似している面もあります。50年代は、日本の経済、政治、社会全般の劇的な変化に応えようと、経営者たちはまさに暗中模索でした。当時の資料を見ると、企業だけではなく、研究者はもちろん、マスコミや広告業界の実務家たちもまた、アメリカをモデルとする新しい社会像を巡って、PRに期待される機能について議論を繰り返していたことが分かります。
 こうした特徴は、現在にも通じるところがあります。「PR2.0」や「PR3.0」という言葉が物語るように、「PRとは何なのか」という本質の模索は、ビジネス環境の根本的変化や、その中で形成される実業家の問題意識と密接に連動しているように見えます。つまり、今日、PRが再び注目されるようになったのは、偶然ではなく、歴史の循環がもたらした必然的出来事といっても良いかもしれません。

根本:なるほど、50年代は社会が劇的に変わり、企業や経営者はその変化に適応していくのが大変だったでしょうね…。現在も、コロナ禍という急激な社会の変化が起きて、それに順応できた企業と、そうでない企業の隔たりが生まれました。PRは「企業と社会との意見を一致させること」ですから、変わっていく世の中を素早く的確に捉え、社会からの評価を得る企業/ブランドになれるかどうかはまさに、「PR力の差」なのだと思っています。急激な社会変革に企業が呼応しなければいけないという場面で、PRは最も力を発揮するはずですし、だからこそ私たちPRプランナー(実務家)が「本当のPRって何だっけ」という問いに改めて立ち返る必要に迫られるのだと思います。

PRとは、社会課題を解決してステークホルダーから「承認」を得ること

根本:ここ最近は、PRプランナー同士で特に、私たちの仕事の「意味」や「PRの価値」について話すことが増えました。コロナ禍で「エッセンシャルな仕事とは」ということが社会全体に問い掛けられたことにも起因していると思います。河先生が考える「本質的なPR」とはなんでしょうか。

河:拙著『パブリック・リレーションズの歴史社会学』(岩波書店、2017年)では、次のように定義しました。PRは、「組織が抱える課題や置かれている状況を捉え、それに影響を与える他者の承認を獲得するためのコミュニケーション」である。他者を意識することで、組織はPR を通じて社会的自我を形成することになります。研究者っぽい定義で分かりにくいですよね(笑)。

根本:今、頭をフル回転させてました(笑)

河:少し補足すると、私は、組織が置かれている社会に埋め込まれた課題を「問題的状況」と呼び、パブリックやステークホルダーを「他者」という言葉に置き換えて考えています。そもそも企業に限らず、自治体や大学のような組織もまた、他者なしには存在できません。従業員、顧客、利用者、株主、住民、学生など、あらゆる他者と結ばれることで、組織はその活動を継続できるのです。程度の差はありますが、これらの組織にとって他者との関係性は、非常に流動的です。容易には関係を絶つことのできない国家や国民、あるいは血でつながっている家族などと異なり、関係性において他者の方により選択権があるのです。

根本:確かに、不買運動などは極端かもしれませんが、企業と他者の関係を構築するのはとても大変な一方で、他者が裏切られたと感じたときに関係が切れてしまうのは一瞬ですね。

河:企業の場合、消費者やユーザー(=他者)にとって、それまで使っていた製品やサービスを他社のものに変えるのは、気楽なことです。また、自治体の場合も、デジタル化がさらに進めば、長く住み慣れた地域を離れ、別の場所に移住する人が増えるでしょう。納税者や住民(=他者)が関係を築く自治体を自由に選ぶ傾向は、今後ますます、加速するでしょう。他者によって容易に関係を断ち切られてしまう組織であればあるほど、「承認や信頼」を常に得続けなければなりません

サイクル図

根本:企業や組織として存在し続けるためには、他者との関係を維持しなければならず、そのためには一過性のコミュニケーションではいけないということですね。承認とは、ソーシャルメディア時代でいうところの「いいね!」をもらい続けることに似ていると思います。我々のチームでは、プランニングの課程で「三方良し」という合い言葉をよく使います。クライアントの課題と、生活者が抱えている悩みや課題、そして、社会全体の課題、どれか一つだけでは足りない時代で、三方同時に解決していくことが重要だと思っています。

 前編では、単なる消費者にとどまらない、さまざまなステークホルダーと関係構築していくコミュニケーションがPRであるということについてお話ししましたが、後編では、どのようにその関係をうまくつくっていけるのか、ということについてさらに深掘りします。

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